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ようこそ♪ ここは、Sound of Wish のサイボーグ009二次創作(SS)倉庫です。
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◆更新情報; 『一語&一句』 No.90 アップ (2008.08.04)
◆当ブログはリンク・フリーです。リンクアドレスは http://sound-of-wish.air-nifty.com/top/
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世界を変えるのに、かならずしも外の世界をイジる必要はない。
自分を変えればいいのだ。
明るい気持ちなら世界は明るく見えるだろうし、
気分が暗かったら暗く見えてしまうものだ。
世界の明暗が変化するのではない。自分が変化するのだよ。
正義になるのも悪に染まるのも、自らの中に双方の種を持った各人の自由なのだ。
そして大半の人間は独占欲・金銭欲等に従って自ら悪を芽吹かせるのだよ (スカール)
既に発刊から一ヶ月以上が経っているから、ネタバレでも構わないかな、と言うことで…読後の雑感を書いてみます。
一応、ネタバレを含むので、空白行を少し…未読の御方はご注意願います。
●まずは心配していた程には文章の破綻がなくストレスなく読めたので、小説としては合格点だったこと。例え脚本家の人たちなどの協力を仰いでいたにせよ小野寺丈さんの力量については過小評価をして危惧していた点は、素直に陳謝せねばなりません。
●全3巻の構想で、セカンドでは005~009の章、ファイナルでは完結編という構成らしいのですが…今回のファーストを読んだ限りでは、やっぱり「序章の序章」以外の何物でもなくて…とても完結編の「三分の一」とは思えてこないのです。次巻の009までの章も今回と同じような、各人と神との確執の発端を描くのだとしたら、セカンドも「序章」でしかないように思えてしまいそうなのが心配の種。 何よりも第3巻のたった一冊で 『本当に佳境となる闘いが完結するの? 物語は完結できるの?』 というのが、このファーストを読んだからこそ最大の心配事になってきちゃいました。
●あと気になるのは、001は別として、002~004まで全て異性のオリジナル・キャラが登場し、ゼロゼロナンバーたちが神に対して疑問・憎悪を持つ契機に絡んでいること。恋人ではないにしても、ちょっと皆んなが皆んな色恋沙汰の要素を絡めてる点が「なんだかなぁ~」です。 もしセカンドでも005~009の各章が同じように異性との仄かな恋心絡みの構成なら飽きが来てしまいそう。そこも心配の種でしょうか…(^-^;)
●面白い設定だと思うのは、リアルなゼロゼロナンバー・サイボーグという辺りかな。石ノ森先生のマンガ着想は「現実のイワン」が過去に送ったテレパシーに拠るもので、マンガ通りではないけれど現実にジョーたちが存在する次元がある、という設定。だから、今回のジェットにせよフランにせよハインリヒにせよ、マンガとはちょっとずつ違う描写が幾つかあるわけでしょ。ハインリヒの両手がマシンガンになってる所や、フランがわずか20mから落とされただけで歩行困難になるほど脆弱な身体能力だという点とか、ね。
●アストロノートとしてのサイボーグという話は現実味がありますが、真空の宇宙空間での活動・戦闘用としてはオカシイ設定も幾つかありますね。例えば003の聴覚は真空の中じゃ無用の長物でしょうし、004のマシンガンもそんなに脅威にはならんでしょう。
●アニメの「神々との闘い」とは別の話になっていた点は評価できます。あれの文章化だったらどうしようと本気で思ってましたから(笑)
●「あとがき」は素直によかったかな。ああいう話をもっと世間に対してしてくれればイイのに…とも思った次第。 在りし日の石ノ森先生の作品への姿勢や意思をもっともっとファンに伝えて欲しい。なにもマンガやアニメや小説といった形でなくても、回想のようなものでいいので、是非機会があれば実現して欲しいなぁ、と思うのです。
以上(^-^)
まずは其の「悲しみ」が 「哀しみ」に昇華するよう
自分自身の心と徹底的に対峙するんだ。
そうすれば。
淋しさを噛み締めて尚、明日への祈りが生まれるように…
哀しみをもう一つ超えた「静けさ」を見つけられるようになる。
オレはそうして、今の、穏やかな心境を獲得したんだよ。 (004)
競争は常に速い者が勝つとは限らない。
戦闘にしても、必ずしも強い者が勝つわけではない。
そう、人生は必ずしも思うようになるとは限らないんだ。
もちろん素質も必要だろう。しかし、それだけでは十分でないことを自覚し、
目的を持って努力しなければ、成功は得られないと知ることが肝要だ。
つまり…その局面では負け戦さであっても、
人生という試合を最後まで諦めずに戦い抜かなくちゃならないってことさ。
世間がどうあれ、君という人間を決めるのは君自身だ。
君が生まれた理由を、見出すのも君自身でなきゃいけないんだ。
他人がとやかく君のことを言っても
それに惑う必要は露ほどもない。
大丈夫、君になら出来る。
君なりに生きていくことが、さ。 ……そうだろう? (009)
人に誇りを与えることはできない。
何故なら誇りとは、その人自身の中からしか生まれないからだ。
安易に他人が与えられるものではないさ。
しかしだ、オレたちにも
その人が内側に持っている「誇り」に気づかせることはできる。
ジョー、優柔不断に見えるお前の中にもな、
誰のでもないお前自身の誇りが立派に息づいてるのが
オレ達には見えるんだ。
つまり…
あとはお前の心 次第だってことだ (004)
なんだか言葉の意味を取り違えたような書き込みを見たので、まぁ反論ってんじゃーありませんが、いちおう私見を記しておきます(^-^)
「その人らしい」ってことの意味は、なにもその人を枠にハメることではなくて、簡単に言ってしまえば「その人の個性」を体現した言葉なんですよね。
現在までにも、その人なりの固有の人生を過ごしてきていて、固有の性格や感情や心を形成するに至ってるわけです。その心は他人には100%判りません。どんな親子であっても恋人同士であっても、です。
そういう相手の個性を認めるからこそ尊敬が出来るのだし、100%判らないからこそ「判ろうと常に努力」することによって絆を、より強めたりできるんですよ。
あの人らしいな、君らしいよ、アイツらしい、彼女らしい…と、表現するとき、それは先入観などで判断してる訳ではありません。ある程度の長い付き合いがあって初めてその人なりのポリシーや感性が少し見えてくるわけで。
相手の個性の一端を知ることで、その人を信頼し尊敬する。彼なり彼女なりの気持ちを尊重することが出来ると思うんです。
逆に、「自分らしくない」っていう状況は望ましいのかな?
「らしくない事をする」というのは…確かに稀になら良いだろうし、新しい経験をするキッカケとしてのプラス面もあるでしょう。しかし、それはあくまでも「らしくない事をして」それまで知らなかったことを知ったり、新たな世界観を得たりして更に「自分らしさ」を重層的に作る場合・繋がる場合に有効だと思うのです。
そうでないと「自分らしくない」はイコール「個性が薄くなる(没個性)」になっしまい、行き着くところ、自分の意思を殺すことになります。自分を殺してまで相手に合わせたりするのは、結局のところ自身に無理してることに他なりません。長い期間、自分らしくないことをやり続ければストレスが溜まる一方となります。そして、それは幸福とは言わない。また、生活に於いても仕事に於いても恋愛に於いても、自分らしさを少しも発揮・体現できないと、それはツマラナイ事々になってしまうように思います。
「らしさ」とは、決して「枠にハメる」ことを意味するのではありませんし、もちろんその人を固定化・矮小化するものでもありません。言ってみれば、「枠」ではなくて、その人の「立脚点」を意味する言葉ではないでしょうか。
と、斯様に思う次第です。
知っているかね?
いかなる条件もつけずに、援助の願いを叶える言葉がある。
脅迫の言葉だ。
われわれBGの資金源がどんな時代にも絶えないのは、
脅迫に屈するというよりも
脅迫に隷属したがる利益の亡者たちが後を絶たないからなのだ
嘘だと思うなら周りを見てみればよい。
時間に隷属した連中が如何に多いことか思い知るであろうよ (ボグート)
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